オタキングの涙・・・・

 またロフトプラスワンに行った。今月はこれで3回目だ。きょうのイベントはオタキングこと岡田斗司夫氏の独演会、題して「オタク・イズ・デッド」。
 昨年のドラマ「電車男」のヒットあたりからやたらと「オタク」という言葉が一般マスコミでもてはやされ、「萌え」というわたしのような歴史の長いオタクにとってはどうでもいいような言葉が、さもオタクの代名詞のように語られ、どんどん薄くなっていくオタクシーンに、オタキングがついに鉄槌を下す!!という趣旨で開かれたイベントだが、すごい展開となった。
 まず、岡田氏がこれまであまりやらなかったという「オタク」の定義づけから。岡田氏など40歳代を第1世代、30代から20代後半を第2世代、そして20代前半以下を第3世代と分けた上で、それぞれの世代で「オタク」の質がだいぶ違うと説明する。中森明夫氏がその名を付けたといわれる第1世代の、ひらがなで「おたく」と表した層は、自分が好きなことに関して何か行動してやろうという趣味人的な位置づけだったとする。これに対して第2世代は、宮崎事件やオウム真理教の一連の騒動などの影響で形成された「オタク=悪」という世間の風潮に抗い、カタカナで「オタク」と名乗ることでオタクは決して暗くて社会性がないものではないと主張する、社会というものを意識する傾向がある傾向があるという。
 こうした定義づけに照らし合わせると、わたしの場合年齢的には第2世代に属するが、第1世代に限りなく近い性格のような気がする。
 ところが、第3世代という最近の若いオタクは、岡田氏が教授を名乗って大阪芸大で教えているクリエーター志望者(大半がアニメ・マンガ分野の志望者)でさえ「ドラゴンボール」の「ド」の字も知らず、自分の興味がある作品に関しては深く追求するものの、そこから少しでも外れたものに関しては一切見向きもしない、いわば一点主義的な人がほとんどという。わたしも含め、古い世代のオタクが、例えばSFに興味があればそれに関する著作や映像作品のありとあらゆるものを見てやろうというのが当たり前だったのと比べると、まったく対照的なのが新世代のオタクというのである。
 さらにここ最近の「オタクブーム」により、年齢層を問わず第三世代的な“オタク”が一気に世間にあふれ出し、本来の「おたく」の存在意義は失われたと、岡田氏は語る。
 と、説明した岡田氏の口から「オタキングは死んだ」とのフレーズが出た次の瞬間、氏の目元から熱いものがあふれ、それまでの冗舌がが止まった。
 まさにオタキングが死んだ瞬間に、われわれは立ち会ったのだろうか。
 その後、何とかたいていを立て直そうとする岡田氏だったが、もはやどうにもならず、予定を30分以上残しながら終了を宣言し逃げるように退場していった。

 はたしてオタキングは本当に死んだのだろうか。その1時間ほど前、スタジオ・ジブリの次回作「ゲド戦記」の監督をする宮崎五郎氏の話をワクワクしながら語っていた岡田斗司夫氏がやけに印象深い記憶として残ったオタクの葬式?だった。