「国盗りが辻」?

 大河ドラマ功名が辻」、なかなかおもしろい。この10年間でも5本の指には入る(つまり中より上)作品と思う。
 ただ、原作を読み返してみて思った。これは司馬遼太郎の「功名が辻」ではない。大石静の「功名が辻」、もしくは「国盗り物語の後半」+「功名が辻」というべきであろう。前にも指摘したが、司馬版「功名が辻」とドラマとでは始まりの時期からして違う。これまでドラマに出てきた、桶狭間の合戦、墨俣一夜城築城から稲葉山城落城までの一連の展開、明智光秀の信長の正室・お濃との関係、お市の浅井輿入れといったシーンは、司馬の「功名〓」には一切出てこない。それどころかお市やお濃などかけらも登場しない。
 一方、光秀とお濃がいとこの関係にあるというのは同じ司馬原作の「国盗り物語」における設定である。足利義昭登場(三谷先生サイコー!)のあたりも、「功名〓」では一切絡まないが、大河版「国盗り物語」(1973年放映)の伊丹十三が演じた義昭をほうふつとさせる。しかも、大河版「国盗り〓」で光秀役だった近藤正臣が、さりげなく細川藤孝として登場するとは、オールドファンの心をくすぐるツボをわきまえており、何とも心憎い。
 原作を途中まで読んでみて思うに、「功名が辻」は戦国モノの司馬作品において“上級編”という位置づけという見方ができる。つまり、「信長の野望」風な展開でいうところの、信長が桶狭間今川義元を破って、美濃を攻めて岐阜に入って、浅井と同盟して、足利義昭を擁して京に上り、浅井の裏切りによる窮地を脱して、姉川で朝倉・浅井を打ち破って、武田信玄が上洛途中で死んで、長篠で織田・徳川連合軍が武田騎馬隊を鉄砲攻撃で潰し、安土城を築き、本能寺の変で信長が自害するという歴史の王道的な流れを、「功名〓」では比較的軽く流している傾向がある(姉川や長篠のあたりはかなり詳細に描いているが)。そうした流れは一通り理解した上で、信長でも秀吉でも家康でもない、いずれ大名まで出世するものの天下人とは遠い山内一豊という凡庸な武将とその賢妻にスポットを当て、戦国時代のサイドストーリーとして成立させたのがこの「功名〓」ということだ。
 ただ、それをそのまま表現するだけでは、大衆相手の大河ドラマとしては物足りない。そこで、一豊と千代がいた時代のマクロ的な流れを、戦国モノ司馬作品の入門編ともいえる「国盗り〓」の世界観を持ってくることでフォローするというのは、悪くいえば安易な発想ととれなくないが、脚本家のセンスが生きればおもしろい展開が期待できる。少なくとも今のところはそれが奏功していると私は思う。
 だが、タイトルはあくまで「功名が辻」である。「国盗り〓」パートはほどほどでなければ本末転倒となってしまう。今後、豊臣秀吉による天下統一、関ヶ原の合戦へと進んでいくことになるが、本能寺の変山崎の戦いで終わる「国盗り〓」以降、どう展開させていくか、オールドファンをいかに納得させられるか、脚本家・大石静の力量に期待したい。まだだいぶ先ではあるが。

新装版 功名が辻 (1) (文春文庫)

新装版 功名が辻 (1) (文春文庫)