6月は本能寺の季節

 きょうの「功名が辻」は「本能寺」。大河ドラマで、秀吉、家康がらみの題材を扱うと、この時期に本能寺の変をやるというケースが多くなる。ちょうど全編の折り返しの時期に当たり、秀吉、家康の両者にとっても一大転機となる歴史的事件であり、前半のクライマックスの設定として使い勝手もいいというわけだ。そもそも史実の本能寺の変が起きたのも6月(旧暦とか細かいことはおいといて)なわけで、おあつらえ向きともいえる。
 ちょうど4年前の「利家とまつ」でも7月はじめが本能寺だった(ワールドカップと重なるのを嫌って少しずれたとか、反町隆史生存嘆願の署名が集まったとの説も)。古い作品だが「おんな太閤記」や「徳川家康」もこの頃だった覚えがある(つっこみ歓迎)。
 ただ、中には極端な例外もあって、1965年の「太閤記」(主演緒方拳)のときには、信長を演じた高橋幸治に対する「殺さないで」嘆願のはがきが殺到したため、12月に本能寺をやる羽目になったそうだ(そのあと16年分どう詰め込んだのだろう)。今では考えられない、大河ドラマ黎明期ならではの事象といえよう。

 さて、そんな歴史をふまえての“今年の”本能寺。今や主役などどうでもよく、一つに館ひろしの怪演ぶりの虜になってしまっているのだが、最後にして最大の見せ場だけにその期待も最高潮。その期待にものの見事に答えてくれた。
 本能寺の信長といえば、寝間着姿で弓矢にて応戦というのがこれまでの定番であり、おそらく史実にも近いのであろう。それを確信犯的に覆して甲冑姿での銃撃戦に仕立て上げてしまうとは。もはや史実そっちのけ(いい意味で)の大石版「功名が辻」にケチをつける言葉などありません。もう、東映不良番長シリーズも真っ青、まるで往年の西部警察を見るような壮絶な銃撃戦。
 そして流れ弾を肩に受けた館信長さまが一言「お濃、痛いのう」。もはや他の追随を許しません。さらに蜂の巣になって倒れるお濃の和久井映見の演技の豪快さもスバラシイ。
 そんな大一番も、たった15分で終了。まあ信長が主役ではないのだからあまり出張るのも考え物だが、派手な前宣伝の割なはあまりにあっけないお舘さまの最期であった。