最近の仮面ライダーときたら

 きょうから始まった「仮面ライダー電王」を見た。
 何をやってもとことんついてないダメダメ男が、突然目の前に現れた鬼のような魔物に乗り移られ、眠っていた力が覚醒して仮面ライダーに変身し、立ちはだかる敵を倒していく、と、ざっとこのような内容だ。しかし、まだ第1話とはいえ見終わって大いなる疑問が生じた。
 これのどこが仮面ライダーなのか、と。
 ライダーのくせに、乗り物といえばCGで描かれた電車で、オートバイなどで来ない。
 立ちはだかる敵といっても、所詮ガキのけんかの延長程度。
 果たして仮面ライダーって何なんだ。

 仮面ライダーといえば、世界征服を企む悪の組織に改造人間にされてしまった男が、その組織の魔の手から世界(というか日本)を守るため戦い続ける、バイクに乗ったさすらいのヒーローというのが基本であった。ウルトラマンとは違い、どこかに暗い影を背負ったヒーローが、毒々しい世界観の中で描かれたのが石ノ森章太郎原作の仮面ライダーだったはずだ。
 35年も経つと、視聴者の価値観も変化しており、1970年代前半と同じものを作るのはナンセンスとは思う。しかし、であるならばなぜ未だに「仮面ライダー」の看板を掲げるのか。見ている子供よりも、昔の名前さえ付けておけばかつてそれを見ていた親をだませるとのの策略ではなかろうか。
 昔の看板を掲げているという意味では「ウルトラマンメビウス」も同じだが、ウルトラマン仮面ライダーと違うのは、ウルトラマンは、過去の作品を明確に結びつけ、かつてウルトラマンを見ていた世代の期待にきちんと応えた作品作りをしている点だ。平成仮面ライダーでは、昭和ライダーとリンクした作品は今のところない。せいぜい共通しているのはオートバイに乗っていることと、ライダーの顔立ちくらいだ(それも怪しい作品もあるが)。
 今回の「電王」も、いずれオートバイには乗るようだが、メインの乗り物はあくまで電車だ。それは、見ている子供にとって、大きくならないと乗れないバイクよりも、格好いい電車の方が取っつきやすいだろうというおもちゃ屋主導の思想が見え隠れするのである。そうした思想が仮面ライダーを妙な方向へ持って行こうとしているのではないだろうか。ならばいっそのこと、仮面ライダーの看板など外してしまうべきではないか。

 まあ、苦言を呈してみたが、今回の「電王」、女性キャラはきれいどころがそろっているようなので、それに免じて大目に見てやるか。あくまで「仮面ライダー」としてではなく一特撮作品としてね。